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ニュルンベルグのマイスタージンガー die meistersinger von nurunberug |
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指揮者 | ヴィルヘルム・フルトヴェングラー |
オーケストラ | バイロイト祝祭管弦楽団 |
合唱 | バイロイト祝祭合唱団 |
合唱指揮 | * |
ハンス・ザックス | ヤロ・プロハスカ |
ファイト・ポーグナー | ヨーゼフ・グラインドル |
クンツ・フォーゲルゲザング | ベンノ・アルノルト |
コンラート・ナハティガル | ヘルムート・フェーン |
ジクストゥス・ベックメッサー | オイゲン・フックス |
フリッツ・コートナー | フリッツ・クレン |
バルタザール・ツォルン | ゲルハルト・ヴィッティング |
ウルリッヒ・アイスリンガー | グスタフ・レーディン |
アウグスティン・モーザー | カール・クロールマン |
ヘルマン・オルテル | ヘルベルト・ゴーゼブルッフ |
ハンス・シュワルツ | フランツ・ザウアー |
ハンス・フォルツ | アルフレート・ドーメ |
ヴァルター・フォン・シュトルツィング | マックス・ロレンツ |
ダヴィッド | エーリッヒ・ツィンマーマン |
エヴァ | マリア・ミュラー |
マグダレーネ | カミルラ・カラープ |
夜警 | エーリッヒ・ピーナ |
プロデューサー | * |
ディレクター | * |
レコーディング・エンジニア | * |
録音年月日 | 1943年7月15〜24日 |
録音場所 | バイロイト祝祭劇場 実況録音 |
初出 | ELECTOROLA 1C181 01797〜801 |
初出年 | 1976年 |
CD | 東芝EMI CE25-5828〜31 |
レコード・メモ |
当録音について |
フルトヴェングラーの、おそらく唯一現存するマイスタージンガー全曲盤 1943年バイロイトではニュルンベルグのマイスタージンガーのみ16回の公演が「第3帝国の賓客」を招いて挙行された。このうちフルトヴェングラーが7月15,18,21,24日の4公演を指揮し、あと12公演をヘルマン・アーベントロートが受け持った。 このマイスタージンガーはハインツ・ティーチェンによって演出されたが、舞台美術はヴィーラント・ワーグナーが務めたヴィーラントのバイロイト・デビューだった。。 1976年にバイロイト100年を記念してEMI系ドイツ・エレクトローラと日本東芝EMIから正規盤として発売された。それ以前にUORC266という非正規盤があったらしいが未聴。 また、イタリアESTORO ARMONICOというレーベルからEA008で1944年録音と銘打ったレコードが発売されたが、これも1943年録音と同一。 CDは上記の東芝EMI盤が唯一の正規盤。 他にイタリアLAUDEIS、GRAMOFONO、フランスDANTEなどからも発売されたがこれらはすべてEMI盤と同一の非正規盤。 これらのレコードのすべては、2カ所で欠落があり(UORCは未聴で未確認)、一つは第1幕冒頭合唱の後、ワルター、エファ、マグダレーネの3重唱で、二つ目は第3幕のザックス、ワルター、ダーヴィッド、エファ、マグダレーネの5重唱。 1997年、仏TAHRAが発行したルネ・トレマン編フルトヴェングラー・ディスコグラフィによると、このマイスタージンガーのテープはDRA(DEUTCHRUNDFUNKARCHIVE?)に2つのテープが存在し、一つはJULY,14-245’、もう一方はJULY,15-248’34とラベルされているが、これらは同一録音であり、上記の欠落部分も同じであるという。ところが最近3番目のテープが発見され、そのラベルはJULY-15だが270分のテープでRRGRECORDINGF1600〜1615と記されている。これには上記欠落部分が入っている可能性があり、完全版の公刊が期待される。 この欠落部分の発見と公布は過去何度も話題になったが、未だ行われたことが無い・・・。 なお、トレマンはこのフルトヴェングラーの録音日を7月15日と特定しているが、私のディスコグラフィではEMIのレコードに記された表記に従った。 |
その他の録音について |
フルトヴェングラーのマイスタージンガーの記録は1973年発行のヘニング・シュミット・オールセンのフルトヴェングラー・ディスコグラフィ第2版によると1943年の当録音の他に1944年のバイロイト音楽祭の録音が遺っているとされる。同書にはヴォルフガング・ヴァーグナーの証言として、この年の録音はRRG(帝国放送局)によってステレオ録音されたということであるが、オールセンはこれら一連の戦争中の録音は旧ソ連に保管されていると記述していた。 しかし、現在ドイツに返還された戦中録音テープの中に44年のマイスタージンガーは存在せず、未だ幻の録音となってしまった。 重複するが、イタリアESTORO ARMONICOというレーベルからEA008で1944年録音と銘打ったレコードが発売されたが、もちろんモノラルで、これも1943年録音と同一。 1944年のバイロイト音楽祭では、前年に続きマイスタージンガーのみ12公演が行われ、フルトヴェングラーは7月18日と22日の2公演を指揮、のこりの10公演をヘルマン・アーベントロートが受け持った。 オールセン以降に発行されたジョン・ハント、ルネ・トレマンの両ディスコグラフィとも44年録音についての記述は無い。 フルトヴェングラーのマイスタージンガーの録音は、他に1937年ウィーン国立歌劇場と、1938年ニュルベルグ、ナチ党大会でのウィーンフィルを率いた上演時の、断片の録音がKOCHより公刊されている。 戦後、フルトヴェングラーはスカラ座で次々とワーグナーのオペラを上演し(1950年「指環」、51年「パルジファル」、52年「マイスタージンガー」)、マイスタージンガーは1952年2月29日、3月4日、6日、9日、12日、16日、と上演され、このうち3月9日の公演が録音され3月22日〜24日に放送されたが、RAIにはこのテープは遺っていないとトレマンは記している。 ちなみにスカラでのパルジファルの上演は1951年3月24日、27日、29日、4月1日、4日で、これの録音も遺っていない。 |