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 ははんが版 by ミン吉様           
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ははんが版 by ミン吉
ヴァーグナーの楽譜の問題に関する初歩的入門
by ミン吉
 皆さんはヴァーグナーのオペラを聞くとき、多少なりとも楽譜の問題を考えたことがあるでしょうか?
 ヴァーグナーではあまり話題になることが少ないのですが、やはり楽譜の問題はいろいろ存在します。ここでは入門編として、耳で聞いてもパッと認識できる程のはっきりした相違を取り上げて論じていきたいと思います。つまり以下の内容は研究者には既に常識のことばかりなのです(私は研究者でもなんでもありませんが)。
 ここでは楽譜の問題として、異稿つまり作曲者の問題と、カットつまり演奏者の問題と両面から見ていきたいと思います。
その1 本当に救われないオランダ人
 さまよえるオランダ人」には典型的なオペラの問題が今でも生き残っています。
 オペラの中核をなすゼンタのバラードはト短調で書かれています。ところがその前の場面でゼンタがヴォカリーズで歌う旋律が、バラードの中にあるものより全音高いことに気付きましたか?
 実はこのバラードは本来イ短調で書かれていたのです。ところがドレスデンでの初演時にゼンタを創唱した名歌手シュレーダー=ドヴリアンが高音が辛かったため、全音下げて歌うよう指示したのが慣習化し固定化してしまったものです。
 有名なオペラではこうした例は珍しくありません。例えば「ルチア」は二つのルチアのアリアがどちらも下げられています。「ノルマ」の有名な清き女神も(確認できませんでしたが)オリジナルは全音高いト長調だったといわれています。
 しかし作曲家にとって調性は絵における色合いと同じもので、これを変えてしまうのは様々な問題を生じる結果になります。
 「オランダ人」のバラードも前後で非常に強引な転調がなされ、この部分だけが全く流れから外されてしまっています。ヴォカリーズの旋律と合わないことも含め、非音楽的なこともはなはなだしいです。
 ではこれがなぜ今日まで修正されず、ト短調で歌われつづけているのか。
それはひとえに、音が低い方が歌手が歌いやすいからなのです!

 「オランダ人」のもう一つの問題、序曲のコーダが2種類あることは、時代楽器を用いた序曲の録音でこの楽譜を用いたりしているので、最近では比較的良く知られています。
 今日普通に聞けるコーダは1860年、「トリスタン」完成の翌年に救済の思想を盛り込んで全面的に書きなおしたものです。今日ではこれを幕切れにも用いるのが普通になっています。オリジナルの方が素朴で、これを聞いたあとに現行版の華麗なコーダの序曲を聞くと、やはりコーダが取って付けたように聞こえますから面白いです。
 「オランダ人」にはこれ以外にオーケストレーションの問題があるのですが、これに関してはっきりと初演時に立ち返っていると主張している録音の記憶は今のところありません。

 ところでEMIのクレンペラーの録音がしばしば「ドレスデン初演版」と紹介されています。最近でも洋泉社の「このオペラを聞け!」という本の中で渡辺和彦氏がクレンペラーの録音をドレスデン初演版として大々的に取り上げています。
 しかしこれは全くの大ウソです。実際は改訂後のコーダを途中まで用いながら、最後の救済のモティーフが現われるところで突然音楽をブチ切り、その後を適当な和音で埋めただけの捏造品です。当然ヴァーグナー本人の全くあずかり知らぬやり方です。これでは本当に救われません。
 おそらくクレンペラーがやったことでしょう。同時期のライブ録音でも同様でした。ただ彼は序曲単独の録音では普通に改訂後の音楽を使っているのですから、訳が分かりません。クレンペラーはメンデルスゾーンの「スコットランド」交響曲でも同様の改竄をしでかした前科があります。しかしそちらは音楽的にも手を掛けたまだ筋の通っているものだったのに対し、このオランダ人の改竄はお粗末そのもの。これをドレスデン初演版だと紹介されてはかないません。
 ともかく楽譜の問題を論ずる際に基礎資料にもあたらず、結果として間違った内容を堂々と書いてしまうのでは、執筆者として失格です。
 ちなみにこの本では「オランダ人」の幕の考えにもちょっと誤解があります。ヴァーグナーはこの作品を一貫して3幕通しの上演を理想として考えていました。初演時に3つの幕を分けたのは単に舞台転換の制約からです。ヴァーグナーはどちらでも演奏できるように間奏曲を書いていますし、ヴァーグナー大辞典では「どちらも正当なもの」という風に書いてあります。私個人は音楽の書き方からして通し上演であるべきだと思います。ですから舞台転換と無縁なスタジオ録音まで3つに分けてしまうのは私には感心できません。
 ちなみに手稿譜に近い形(オリジナルのコーダ、バラードはイ短調)はバイロイトでのザヴァリッシュのフィリップス録音があります。その解説の中にザヴァリッシュ自身が書いた稿の問題の文章があります。一方初演版に近いもの(コーダはオリジナルだがバラードはト短調)はネルソンの指揮した録音で聞けます。
その2 パッチワークの「タンホイザー」
 ヴァーグナーの作品の中で最も版の問題が有名なのは「タンホイザー」でしょう。
 オリジナルは1845年にドレスデンで初演されたもので、現行の楽譜はその後いくらか手を加えられたものです。一方「パリ版」は、ナポレオン3世の依頼で1861年のパリでの上演にあわせ、主として第1幕に大幅な改訂を施したものです。ヴェーヌスベルクのバレエ音楽が加わったこと最も大きな違いですが、それ以外にもあちこちに改訂の手が加わっています。
 ドレスデン版だけ、パリ版だけを用いる上演以外に、ドレスデン版を基本にパリ版の良いところを適宜加える上演も非常に多く見かけます。
 ところで、パリ版はしばしばヴァーグナーの新旧の様式的な混在が指摘されます。
 確かに改訂された部分の音楽はちょっと「出来すぎている」かもしれません。「トリスタン」を経てヴァーグナーの作曲技法は格段に上達していますし、パリのオペラ座のオーケストラは当時最先端の実力を誇っていましたから、ヴァーグナーのほうもそれを積極的に利用しようと思っていたことでしょう。こうした部分があちこちに点在していることでパリ版は扱いづらいという意見も少なくありません。
 しかしもう一つパリ版には、あまり取り上げられない問題があります。
 このパリ版では、フランス語の台本が先に用意され、ヴァーグナーはそれに音楽をつけています。音楽がドレスデン版とそう変わらないところは、フランス語が旋律に制約を受けています。しかし完全に新しく書いた部分では、フランス語に旋律は合わせてあります。したがって、現在のようにドイツ語に戻された形で聞くときは、ドイツ語が旋律に制約を受けていることになります。この問題はもう少し研究してみないと正確なことは言えませんが、パリ版の「タンホイザー」はフランス語がオリジナルであることは事実ですから、厳密に考えると、ドイツ語によるパリ版「タンホイザー」はひょっとしたら邪道なものなのかもしれません・・・??
 パリ版でもう一つ面白いのは、歌合戦の場面でなぜかヴァルターがタンホイザーに反論する場面がカットされてしまっている点です。
 ここにヴァーグナーの新たな意図が何か隠されているのではないかと勘ぐる人も少なからずいます。しかしこうした不可解なカットは、イタリア・オペラでは日常茶飯事でした。つまり、その役を歌う歌手に力がなかったから出番をカットされただけのことなのです。その昔は、オペラにおける「役」は初演時の歌手を想定して作っていたので、こんなこともあったわけなのです。
 現在であれば、パリ版を用いつつこの部分を復活させたっていいと思います。

 なおパリでの上演は、ご承知の通り、前代未聞の大混乱の挙げ句3回の公演で打ち切られました。これはナポレオン3世に対立する貴族たちの反感を買ったという政治的理由が第一にせよ、ヴァーグナー自身パリの音楽界の流儀をわきまえていなかったのですから、起こるべくして起きたとも言えるでしょう。この辺の事情についてはエラートから発売されたマイヤベーアの「ユグノー教徒」の国内盤の浅井香織さんの解説に詳しく書かれています。
その3 帰り支度を急ぐ白鳥の騎士
 最近発売されたバレンボイムが指揮した「ローエングリーン」の録音で、名乗りの歌が完全収録されたことが話題になりました。
 御存知の通り、ドレスデン革命で亡命の身となったヴァーグナーは、ヴァイマールでの「ローエングリーン」の初演に立ち会うことが出来ませんでした。この時ローエングリーンを歌った歌手が余り実力がないという情報を耳にし、本来長大だった第3幕の「名乗りの歌」の後半部分をカットするようリストに依頼したのです。結果として、現行版では前半が終わるとすぐ後半の後のファンファーレにつなげています。そう分かって聞くと、音楽のつながりが少々唐突に聞こえないでしょうか?
 ところで、1958年に始まったヴィーラント・ヴァーグナーのバイロイトでの演出では、やはり「名乗りの歌」の後半部分はカットされているのですが、そのカットの仕方がちょっと異なっています。前半が終わると、本来前半と後半をつなぐブリッジだった静かな音楽が続き、そしてその後エルザのMIR SCHAWANKTまで飛びます。ファンファーレが出てきませんから知らずに聞くとアレッと驚きます。カット前の音楽を知らないと「いったいこの音楽は何?」と不思議に思ってしまいます。
 ちなみにこの時の上演ではローエングリーンのO,ELSAから後もカットされ、すぐ白鳥が現れます(このカットはしばしば採用されています)。ノーカットのオリジナルの形のままだと、ローエングリーンは延々と自分の事を話しつづけていますから、こうすると随分スピーディな展開になり、幕切れをダレさせない結果になります。もっとも延々と自分のことを話しつづけている方がヴァーグナーらしいとも言えますが。
 オリジナル通りの演奏は、ラインスドルフの指揮したRCAの録音でも聞けます。
その4 「トリスタン」の完全版??
 歌手の負担を考えると、オペラにおけるカットは目くじらを立てられるようなものではなく、場合によっては必要とさえ言えます。こうしたカットは作曲者本人が承認したものも、他人が施したものもあります。これらが伝統的に固定したものをトラディショナルカットと言います。
 ナンバーオペラであれば、脇役のアリアを削除したり繰り返しを省くなど、カットは割と簡単にできます。しかし近代オペラでは流れを断ち切らないようにカットを入れるので、下手をすると気付かないことがあります。
 私の知り合いの歌手は「ヴァーグナーやR・シュトラウスのオペラにはトラディショナルカットがない」と信じ込んでいました。それほど極端でなくとも、「バラの騎士」が通常カットをいれて(カラヤンも息子クライバーも)上演していることに気が付いていない人も少なくないのではないでしょうか。
 「トリスタン」も、実際の上演では第2幕に300小節ちょっとの大きなカットを受けるのが今でもむしろ普通です。バイロイトでも戦前まではカットを入れていたといいます。おそらくスタジオ録音以外のディスクでも、大半はカットが入っているのではないでしょうか。「完全版」はそれほど多くないのです。
 カットされた部分の音楽は非常に魅力的なのでノーカットにこしたことはありません。ただ劇場で聞くときは、第3幕でトリスタンが本当に息も絶え絶えになるよりはマシか、と諦めることにしています。しかし録音で聞くと、私には少なからず引っかかります。
 恐ろしいのは戦前のメトです。ことにボダンツキーは、ヴァーグナーであろうと容赦なくバシバシカットを入れています。、1937年に彼が指揮した「トリスタン」の第2幕の録音は何と55分(!!)しかありません。通常第2幕はCDにギリギリ収まるくらいの分量ですから、四分の一程度カットしていることになります。この演奏が白熱した大変優れたものであることを認めるにやぶさかではないのですが、この点ゆえ私はこの演奏は一般的にあまりお薦めできません。
 ちなみにボダンツキーは「タンホイザー」(「ローマ語り」にまでカットを入れている)や「バラの騎士」も相当にカットしています。これらの演奏を積極的に紹介する評者もいらっしゃいますが、この点をちゃんと説明しないと片手落ちと思います。
その5 ヴェーゼンドンク
ヴェーゼンドンク歌曲集にも、実は初稿があります。これに関しては録音がないのでこれ以上は触れません。
最後に
 私はノーカット原典主義者では絶対にありません。ただ、好奇心が強すぎることと、楽譜をもう少し尊重して扱って欲しいと思っているだけです。写譜をするだけでも大変な作業なのです。いわんや作曲となれば…。
 皆さんが少しでもこうしたことに興味を持ってくれるとうれしいです。

1999年5月
ミン吉