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歌手のこと |
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カタリナ・リゲンツァのこと | |||||||
カタリナ・リゲンツァの名前は、このディスコグラフィの中でも数えるほどしか出てきません。ワーグナーのソプラノについて話を始めるなら、フラグスタートやニルソンをさしおいて、最初にあげる名前としては意外に思われるかも知れませんが、私にとってはどうしても忘れることの出来ない名前です。 私のワーグナー体験でもっとも大きなものは、ショルティの「指環」全曲盤もさることながら、やはり1987年のベルリン・ドイツ・オペラ来日公演での「指環」全曲上演でありました。このときに一元化できない、複雑なワーグナー体験というものをつくづくと感じ入ったのですが、そこでブリュンヒルデを歌っていたのがこのカタリナ・リゲンツァだったのでした。 それまでリゲンツァの名前はバイロイトでイゾルデを歌っているものがFMで放送され、またヨッフムの「マイスタージンガー」でエファを歌っているレコードがあったくらいで、ニルソンの後を次いだイゾルデで、やはり同じスウェーデン出身のソプラノくらいの印象しかありませんでした。バイロイトでずっとクライバーの下でイゾルデを歌っていたものの、なぜかレコードではその役はマーガレット・プライスに取って代わられ、シェローの「指環」ではギネス・ジョーンズがブリュンヒルデを受け持ち、極東の島国の、レコードでしかワーグナーに触れられなかった一愛好家には、大して印象に残っていない名前でした。 東京で、実際に舞台で聴き、見ることの出来たリゲンツァの印象は、初めて「指環」を見ることの出来た素人愛好家には強烈なものでした。フラグスタートの暖かく、ビロードのような神々しい歌声や、ニルソンの氷のような強靱で怜悧な歌声を、レコードでしか聴いたことが無かったわけで、この二人のような現世離れした人間を超えたような強烈さこそありませんでしたが、それでも分厚い管弦楽を突き抜けて、透明で柔らかな声が、ある種のあやうさを伴いながら、聴衆(の一人である私)に届いたのでした。それは人間の女性であるブリュンヒルデの心情に素直に共感を寄せられるものだったと思います。声量では後にメットの来日公演で聴くことの出来たギネス・ジョーンズには劣るかも知れませんが、また、高い音域に独特の癖があって、それがある種のひ弱さを感じさせられたことも覚えていますが(このひ弱さ故に何か神ならぬ人間らしさを感じたのかも知れません)、表現の細やかさ、対比の鮮やかさ等々、私にとっては最高のブリュンヒルデです。 いつか、リゲンツァのブリュンヒルデ(やイゾルデ)をレコードで聴ける日を楽しみにしていたのですが、ベルリン・ドイツ・オペラが帰ってから何年も経たないある日、FMファンの海外楽信欄に、リゲンツァが引退を表明した記事が載っていました。まだまだ歌える力を保った上での(と勝手に思っていましたが)引退表明に驚き、心から寂しく思いました。その時点で私たちに残されていたレコードはほんのわずかで、この80年代最高のワグネリアン・ソプラノの真価を伝えるものは無かったのです。 今では、バイロイトのライブ録音でのイゾルデを聴くことの出来る海賊盤が複数存在しています。リゲンツァの素晴らしい歌声と表現を思い出させてくれる貴重な音源です。いつの日か、これらの「トリスタン」の海賊盤と、ブリュンヒルデを歌った彼女のレコードが、正規盤として十全な音質で発売されることを心から祈っています。 |
カタリナ・リゲンツァのレコード | ||||||
イゾルデ トリスタンとイゾルデ |
1973年ウィーン
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1974年バイロイト
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1975年バイロイト
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1976年バイロイト
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エファ ニュルンベルグのマイスタージンガー |
1976年ベルリン
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第3のノルン 神々の黄昏 |
1969年ベルリン
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ヘンデル 九つのドイツのアリア集 |
DG 2536 380(LP) |
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